2007年06月11日
129:末期がん告知2
友人と妻と私の3人でセリ採りに行く事になった。
私はその数時間前まで外科病棟の病室にいた。
部屋も個室だったため、1人でいると考える事は同じ事ばかりだった。。。
『オレはこの先一体どうなってしまうのだろう。。。』 と。
不安な事ばかりが頭から離れない。
『死にたくない。。。生きたい。。。』 と考える中で、
父や兄の事を思い出す事は数え切れないほどあった。
がんと言う病は大切な家族をもあっと言う間に命を奪ってしまう怖さを
私は知っている。
末期がん(肝臓がん)の告知を私自身、当時の主治医から
聞かされたとき、瞬時に頭の中は 【がん=死】 という事が
頭をよぎった事は今も鮮明に覚えている。
その後の事は空白のまま、今もほとんど思い出す事が出来ない。
それからと言うもの、死の恐怖と闘いながら過ごす毎日が続いた。
『オレは絶対にがんには負けない。オレは絶対生きるんだ!』
と自分自身を勇気付ける事が多かった。
でも、身体の調子が悪くなっていくと、
その思いも挫折して悪い方へ考えてしまった。
そしてある意味、死をも覚悟してしまっている自分もいた。
その中でも、私は兄と良く出かけた山々を病室の窓から眺める事で
希望を持ち続ける事が出来たと思っている。
岐路に立たされた時、小さな希望をつないで何事も諦めずに前向きに生きてきた。
そんなこんなでセリ採りの場所に着いた。
友人はセリ採りの経験があまり無かったので私が教えてあげた。
友人はすぐに草とセリの区別が出来るようになり、別々の場所で採り始めた。
末期がん(肝臓がん)と言う病のせいか、
立ったり座ったり、そんな単純な動作でも私には大分こたえてしまった。
そんな私の様子を見て、妻も友人も心配して声をかけてくれていた。
その度に私はから元気を見せ、安心させていた。
採り始めてからどの位時間が経ったのだろうか、
セリを入れる袋が一杯になってきた。
友人がさかんに時間を気にし始めていた。
何でも友人は、この後、知り合いの人と約束があるとの事だった。
私と妻はもう少し採ってから帰ると言って、友人とはこの場所で別れる事にした。
二人きりになってしまうとお互い口数が少なくなってしまった。。。
そんな中、私は10日後に迫っている大学病院での
生体肝移植の事を思っていた。。。
★ブログ移行のお知らせ
2006年10月から始めたこのブログも総ページ数150を超え、
メニュー欄ももうちょっと分かりやすくして欲しいとのご意見を頂くように
なりました。
このブログは私の体験を皆様にお伝えするために立ち上げたものですので
読みづらくなってしまうのは私の意に大きく反してしまいます。
私にはまだまだ皆様にお伝えしていきたい事が山ほどあります。
読んでくださる方がいらっしゃる限り全てを書き出したいのです。
そこで、今度は全くのオリジナルで立ち上げる事にしました。
このブログで書き足したかった事も追加して書いていきますので
更にリアルに私の闘病生活を感じて頂けるかと思います。
そのためコチラのブログは基本的にもう更新は行いません。
更に多くの方々に読んで頂けたら幸いです。
笹野 富美夫
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