2007年01月18日
45:造影剤⇒脱水症状6
2004年(平成16年)5月9日の入院から約1週間、
点滴ばかりで何も食べられない。。。
水分も自由に飲むことが出来ない。
このままでは体力がどんどん無くなってしまう
とものすごい不安にかられていた。
妻にクーラーボックスの中に例の健康食品を
入れて持ってくるように連絡をした。
主治医に内緒で飲むことにした。
飲んでいないと安心できないからだった。
そして数日後、ようやく自由に水分を取っても
良いことになった。
また、待望の食事の方も
おかゆからではあったが始まった。
この【おかゆ】は
3分がゆ → 5分がゆ → 7分がゆ → 全がゆ と
少しずつ変えていくことを初めて知らされた。
おかゆにこんなに種類があるとは知らなかった。
とにかく何でも良いから口から入れて
食べられるモノならばと思ってはいたものの
出てきたおかゆには正直ガッカリ。。。
幸いにも状態のわりには腹が減って仕方が無いのに
出てきた3分がゆは
米がほとんど入っていなくて
おかゆと言うよりは 【米汁】 と言ったほうが
良い感じのもの。。。
何とも味気が無くて正直まずかったが
『今は生きるための食事をすべし!
味わうための食事は後回し。』
と自分に言い聞かせて食べた。
その回あってか(?)
翌日にはいくらかマシな5分がゆに。
その翌日にはなかなか美味い7分がゆ。
そしておかゆ4日目にして
【待望】の全がゆになった。
とても旨く感じた事を覚えている。
しかしながら、
【生きるための食事】とは言えど
病院の食事って言うのはホントにイマイチですね。
空腹でありながら食欲があまり出てこない。
私は食欲があるときは
妻に頼んで食べたいおかずを作ってもらって
良く病院に持ってきてもらったものだ。
身体の免疫力を維持して末期がん(肝臓がん)と
しっかりと戦うため、
病院の食事と妻が作ってくれたおかずを
良く一緒に食べていた。
とにかく食べなくてはと自分に言い聞かせていた。
とにかく生きるための食事を心がけた。
また、その健康食品も出来る限り大目に飲んだ。
この頃、私は末期がん(肝臓がん)の治療は
何ひとつ受けてはいなかった。
私がその頃戦っていたのは
末期がん(肝臓がん)と言うよりはむしろ
胆汁だった。
とにかく胆汁の出る量が安定しない。。。
目一杯出たかと思うと
今度は詰まって苦しい思いをすることもしばしば。
毎日毎日がその繰り返しで
大きな大変なストレスになっていた。
その当時は何よりも胆汁が
安定することが一番の望みだった。
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